ガンの手術後も調子はいいそうです、ますますのご活躍お願い致します
昨年テレビ朝日で「大和」が特番で取り上げられて以来、お忙しいみたいです
でも、あの番組にはかなり辛口のご感想をお持ちでした
ご自分の配置部署を説明される八杉氏
昭和2年 | 広島県福山市に生まれる |
昭和16年 | 旧制中学在学中に大東亜戦争勃発 |
昭和18年 | 海軍少年兵を志願、15歳で海兵団へ入る |
昭和20年 |
戦艦大和乗組員となる。 帝国海軍最後の艦隊出撃となった沖縄特攻で 撃沈され、 辛うじて生還する。敗戦までを本土決戦用陸戦隊隊員として特訓中、 原爆投下による広島救援で被爆者となる。 |
昭和30年 | このころから戦艦大和探索の資料集めに奔走する |
昭和55年 | 第一次戦艦大和探索を開始 |
昭和60年 | 第四次探索で海底の大和の全貌を映像化に成功 |
筆者と談笑する八杉氏
氏は、沈没の間際まで最上部の測距室にいて、測敵業務に従事していた。
撃沈後、駆逐艦「雪風」に救出され、本土到着後は半ば軟禁状態のままで陸戦隊の指揮官を命じられた。
手術は無事成功しました、八杉氏は元気に退院されました 本当によかったです! |